***いつかは語っておきたかった天然水晶の話***
★タイムマシンから出てきたような原石との出会い 当社が『天然の水晶』に力を入れ始めたきっかけは、タイムマシンから抜け出てきたような原石との出会い、が始まりでした。
香港に出張中のある日、当社の兄弟工場の社長であるジャッキー(香港に住む中国人は自分で好きな英語名をつけて使うのが一般的なのです) が、 「すごい水晶の原石を持っている資産家がいて、売りたがっている」という話を持ってきました。 1997年のことでした。
世界的資産家は、資産をいろいろな形で分散させて持つ場合があり、現金、株、不動産だけでなく、たとえば市場で換金しやすい金や銀、オークションで値のつくような芸術作品や歴史的価値のある品に換えておくこともあるそうです。(ダ・ビンチ展に行った時、ダ・ビンチ手描きの生原稿の持ち主がビル・ゲイツ夫妻だったのを思い出しました。)
天然の原石も、良いものから先に採掘されていくので、先へ行くほど値が上がることが予想されます。そんな訳で、水晶の原石を投資として香港のお金持ちが買って持っていたのでしょう。
でもどこから手に入れたのでしょう? この業界の人ではないのに…。
その資産家によれば、米軍から払い下げられた、とのことでした。では、なぜ米軍が持っていたのでしょう?
★アメリカ軍が水晶の原石をどっさり持っていた・・・ 米軍が水晶の原石をどっさり持っていたのは、レーダーの発振子(振動子)として水晶の規則正しい振動(波動?)が必要だったためです。(水晶の波動はのちにクォーツ時計やハイテク機器にも活用されることになります)
だから、アメリカが国家規模のプロジェクトとして、良質な水晶の原石を大量に買いつけていた時期があったようです。
ブラジルでは、「昔アメリカ人がやってきて、ごっそりいい原石を買っていった」という話が、あちこちの水晶鉱山に残っているそうです。 (※)
ところで肝心の水晶を払い下げた理由は、人工水晶を開発したことで、確保が大変でカットに手のかかる天然水晶の大きな原石は必要なくなったから、でした。(でも人工水晶の種として天然水晶のカケラは必要らしいです。)
工業用のダイヤと同様、工業用の水晶ができたわけで、人工水晶は第二次大戦直後くらいから普及し始めたようです。
香港の資産家が持っていた水晶は、ワインを入れるようなサイズの木箱の中に、1940年代から1950年代にかけての日付のアメリカの新聞をパッキング材料にして入っていました。随分長い期間、買い付けていたか、何回かに分けて、資産家に払い下げたか、私たちにはわかりませんが、とにかくこの時代の新聞に包まれていました。タイムマシンから出てきたような原石、と呼ぶ所以(ゆえん)です。 (中国の工場のストック置き場に積んであった時の写真です。この箱が大量にありました。 アメリカの新聞紙は廃棄しましたが、今思えば少しくらい取っておけばよかったかも。)
★いつの間にか『水晶は天然があたりまえ』ではなくなっていた… 水晶はダイヤほど値段が張るものではなかった為、水晶が天然か否かを業者も消費者も鑑別をとってまで調べようとするケースは少なく、いつの間にか人工水晶が静かに市場に浸透してきたようです。
それまで当社が扱う水晶は、水晶として仕入れたものは水晶として売っていて、天然とうたうこともなければ、人工とことわることもありませんでした。
この原石と出会ってから、残っている昔からのストックを調べたところ、中がクリアで綺麗な水晶ほど、合成ものが結構混じっていました。天然だと、本当に綺麗なものはなかなかないのはどの石でも同じようです。
つまり、人工水晶が実用化された戦後以降、水晶は綺麗なものほど人工(Man made)が浸透してきていた、と考えられます。
★そこで当社は水晶を・・・(三幸物産の水晶物語) 話が前後しますが、この資産家の水晶の話が持ち込まれたとき、おそらく当時世界でも有数の通販コーナーを持つテレビ番組に時々かかわらせていただいていた当社は、即座にその原石の買い付けを決めます。
ところで、店頭に飾られた水晶は、プロでも天然か人工か判断することはできません。 意外かもしれませんが、本当です。
店頭だけでなく、仕入れの段階ですでに、ふつうは天然か合成か判断できません。 すでにカットされた水晶を仕入れる場合、人工の原石からカットされていても、鑑別しない限りわからない状態です。
原石から管理して、どの段階でも人工が混ざらないように工場のラインを独立させ、店頭までのルートをすべて目の届く体制にしなければ、天然と言い切れない、ということになります。
だから当社では、この「原石から店頭まで」の一貫したルートを作りました。
加工は、日本で行うと競争力がない価格になってしまう時代にはいっていたため、中国の工場でカット。パートナーのジャッキーが信頼できる人間であることが一番大事でしたが、工場にも何度も足を運び、工場のラインや環境を確認しました。
ちなみに工場はアメリカの大学構内のように整備された環境の良い所です。
鄧小平の改革開放路線で、中国に【経済特区】が何か所かできた時、 ジャッキーの故郷がそのうちの一つだったことも幸いしました。
ジャッキーの工場のような学園都市みたいな工場が中国でブームになっていた時期でもありました。中国の高度経済成長期で、良い環境でないと、どんどん他の工場に人が移っていってしまう時代だったのです。
この原石を使って提供した最初の製品は大きな水晶玉でした。良い原石とはできるだけ品質が良く、できるだけ大きいものを言いますが、水晶の良い原石をそのまま生かすには、水晶玉が最適と思われたからです。これはテレビ通販で何回か提供し、いずれも大変にご好評いただきました。
その後も当社の水晶は、自身が石のカッターをやっていたこともあるジャッキーのもとで、日本の厳しい基準に合うよう入念にカットされ、日本にやってきました。
上記だけでも十分な体制と思うのですが、さらに、日本で信頼できる鑑別の先生のところで、天然かどうか見てもらいます。これは、当社の一部納品先の希望で、水晶玉以外の製品にも及ぶようになりました。 その方針は、お客様にちゃんとした鑑別書をお付けしたい、という私たちの希望とも合致しました。
ただ、鑑別、特に透明度の高い水晶の鑑別は、ちゃんとやるには技術も時間もかかるため、費用もかかるのが普通です。
なので、ちゃんと全部見てもらっている鑑別書か、代表で見てもらった一点を他にもあてはめて言っているのか、自社発行の「保証書」なのか、で信頼性が違ってきます。
当社の水晶製品も、鑑別費用がかかるという点をかんがみて、全商品に鑑別書をつけている訳ではありません。でも入念に見ていただいたロット(仕入れの入荷単位)と同じ所で同じ時に作られたものは、ラインを混ぜずに作っているので、その場合は、天然と言う言わないは別として、天然水晶であると考えています。
他のルートや国内仕入れで入手した水晶については、全量鑑別した場合以外は当社では天然とは断言しないことにしています。
とまぁ、ざっとこんな訳で、水晶のすごい原石ロットとの出会いが、上質な天然水晶にこだわった当社の新しい路線を生み出しました。たぶん世界的に見ても珍しい取り組みだと思います。
★こぼれ話 このように軍事的・国家的戦略で水晶を大量に蓄えていたのはアメリカだけだったのでしょうか。
たしか南米の水晶スカル(=水晶で作られたドクロ。15世紀に南米で作られたものとされていましたが2016/1/23の「世界ふしぎ発見」でアメリカのジェーン・ウォルシュ博士の研究成果をもとに「ドイツのイーターオーバーシュタインで19-20世紀につくられたものである」という説が紹介されていました。)のノンフィクションを読んでいた時に、アメリカが水晶を大量に備蓄していたことがあるという情報に触れていて、そこに「イギリスも同じようなことをやっていたらしい」、という説が記されていました。
いつかどこかからその原石が出てくるかな、と思っていましたが、いまだに出てこないようです。なによりも、1980年代にブラジルの水晶鉱山をいくつも実際に訪れていらっしゃる日本の鉱物学者のレポート(※)によれば、ブラジル各地の鉱山に「アメリカ人が来た」という話は残っていても、「イギリス人が来た」という話はなかったようです。少なくともブラジルの水晶ではないことになりますが、本当にどこかで買い付けたかどうかはわかりません。
(※)鉱物学者の岩崎文子氏・岩崎秀夫氏共著の論文「天然水晶から人工水晶へ」に下記記録があります。岩崎文子氏のご了承を得てここに引用致します。
「著者らは1984年~1986年、1988~1990年の2回ブラジルに滞在し、その期間に約10ヶ所の鉱山を見てまわり分析用のサンプルを入手した。面白いことに、訪ねた多くの鉱山でしばしば「ここは、かつてアメリカ人たちが水晶を掘った跡だ」という話を耳にした。年配の人はかつてアメリカ人が来て振動子用の大きな水晶原石を掘り出していたことを良く覚えているようだった。トカンチンス州の「クリスタランヂア」では1940年代にアメリカによって多量の水晶が採掘されたが、やがて大きなものが掘りつくされると作業者は他の場所に水晶を求めて移動し、新たな場所で採掘したという話を聞いた。」 ( 引用等はご一報ください) |
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